長崎観光ガイド:長崎はじめて物語

長崎県内にある「長崎に初めて伝わった」「長崎から各地へ広まった」ものを紹介

  • ボウリング日本発祥地
    • 長崎のグラバー園に上る坂道の途中にある。
    • 日本のボウリングは, 太平洋戦争後 米軍が持ち込んで盛んになったが、発祥は文久元年、長崎の出島の外国人居留地にシーメンス・ホームというクラブがあり、ここにボウリング場が開設されたのが最初とされる

  • わが国ボウリング発祥の地
    • 「ちゃんぽん発祥の店」四海楼の正面 向かって左(ANAホテルの向かい側)に、石碑と説明板が並んで建っている。
    • 上記「ボウリング日本発祥の地」の石碑とは直線距離で100mも離れていないが2つの石碑の明確な関係性は不明。

  • 国際電信発祥の地
    • 長崎電軌・大浦天主堂下電停の西100m、ANAホテルの敷地内にフェンスに囲まれて「国際電信発祥の地」「長崎電信創業の地」 「南山手居留地跡」と 同じ規格の石碑が3本 並んで建っている。
    • デンマーク系のグレート・ノーザン電信会社によって長崎-上海間および長崎-ウラジオストック間の海底電線が敷設され、国際通信が開始された。

  • 日本最初の缶詰製造の地
    • 長崎県長崎市立山1丁目 長崎公園の南に隣接する日本銀行長崎支店から公園に入る入口の横に石碑が建っている。
    • 長崎の外国語学校「広運館」のフランス人教師が 本国から持ち込んだ牛肉の缶詰を食べていたのを、広運館に勤務していた松田雅典が見て驚き、製法を学んで缶詰の試作を行ったのが始まりとされる。

  • 我が国鉄道発祥の地
    • 長崎県長崎市新地町 長崎市民病院の前に、「運上所跡」「鉄道発祥の地跡」の二つの記念碑が建っている。
    • 横浜-新橋間の鉄道が走り出す7年前、慶応元年(1865)に英国人グラバーが長崎の居留地の海岸通りに約600メートルのレールを敷き、上海の展示会で買った蒸気機関車を走らせた。

  • バドミントン伝来之地
    • 長崎県長崎市出島町。復元工事が進んでいる出島跡地に石碑が建っている。
    • 日本でバドミントンが一般に普及したのは1940年代ごろとされるが、最初にバドミントンが行われたのは出島に住むオランダ人とされる。

  • 海援隊発祥の地
    • 長崎県長崎市築町。中島川に架かる銕橋の西詰に、路面電車の線路と川に挟まれるように石碑が建っている。
    • 1865(慶応元)年に坂本龍馬らによって組織された「亀山社中」が、2年後の1867年に土佐藩をスポンサーとして運営されるようになり、名称も「海援隊」と改称された。

  • 西洋料理発祥の碑
    • グラバー園の中央近く、三浦環像と旧グラバー邸の間に喫茶室として 利用されている「旧自由亭」の傍らに「西洋料理発祥の碑」が建っている。
    • 自由亭は、出島のオランダ人屋敷で料理人として修行した人草野丈吉が作った日本最初の西洋料理店で、1973(昭和48)年に保存のため長崎市が譲り受け、グラバー園内に移築復元したものである。
    • グラバー園内にはその他「日本最初のアスファルト道路」や「日本最初のテニスコート」を記す看板がある。

  • 近代塗装伝来之碑
    • 長崎県長崎市新地
    • 長崎県長崎市新地町 湊公園の西端に「近代塗装伝来之碑」と 書かれた記念碑が建っている。
    • 日本にてペンキ(ペイント)による 近代塗装が伝来したのは1854(安政元)年のペリー来航以後のことであるが、長崎・出島のオランダ屋敷ではそれ以前より既に一部の建物にペイント塗装が行われていたことを示す資料が見つかっており、それを記念して伝来の記念碑が建てられた。

  • 競艇発祥の地
    • 長崎県大村市玖島1丁目 大村競艇場内、ゲート内のすぐ左側に「競艇発祥の地」と刻まれた白い石碑が建っている。
    • 1952(昭和27)年に国内最初の競艇場として発足し、全国の競艇場としては最南端・再西端に位置する。
    • 近くには「BOAT RACE 発祥の地」と書かれた 競艇場の歴史を紹介するパネルも展示されている。

  • 国産コーヒー発祥の地
    • 長崎県大村市寿古町 国道34号(長崎街道)沿い“空港北口”交差点から100mほど南に「国産コーヒー発祥の地」と書かれた看板が建っている。
    • コーヒーは江戸時代の18世紀初めのころ初めて長崎出島に伝えられ、オランダ商館に出入りする一部の商人や遊女などが最初にコーヒーを味わったとされる。

  • 日本初の姉妹都市
    • 昭和30(1955)年、長崎市とアメリカ・ミネソタ州のセントポール市との間で姉妹提携が結ばれ、これが日本の姉妹都市提携の第1号となった。
    • 両市の姉妹提携を提案したのはセントポール市のルイス・ヒル。原爆によって破壊された長崎の姿を悲しみ、市民同士の友情が深まれば争いのない平和な世界が築けると、姉妹提携を働きかけた。1955年10月24日の国連デーにセントポール市で結成式が行なわれ、12月7日に都市提携が成立した。
    • ちなみに、「兄弟都市」ではなく「姉妹都市」というのは、英語のsister cityの翻訳から。

  • 最終更新:2013-09-09 10:34:15

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