長崎観光ガイド:スポット:その他地区

佐世保

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    • 1992(平成4)年にオープン。
    • 日本三大テーマパークの一つに数えられ、規模・来場者数ともに日本を代表するテーマパークの一つである。
    • ここだけでTDRとほぼ同じ面積の広大な敷地内を運河が流れ、オランダの全面的協力で中世ヨーロッパの町並みを忠実に再現した一つの町を形成している。そのため当地の住所は「長崎県佐世保市ハウステンボス町1-1」となっている。
    • 元々は対岸に「長崎オランダ村」と言う当時の人気テーマパークがあり、それを総合リゾートとして発展させたもの。
    • 当初は初年度の来場者数が最高であり、経営も二転三転し続けたため、宮崎のシーガイアと並ぶ失敗テーマパークと揶揄されたこともあった。
    • だが経営陣が刷新されてからは「光の王国」シリーズや人気アニメ「ワンピース」とのコラボ企画などさまざまなイベントを立て続けに成功させ、来場者も大幅に増加し増収増益が続いている。

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    • 1955(昭和30)年に完成。完成当初は東洋一の規模を誇り、世界第3位のアーチ橋であった。橋の下に降りることが出来、桜の名所でもある公園となっている。
    • 外海と内海である大村湾との潮流の差が激しいため、ここでは渦潮を見ることが出来る。特に春の大潮のころが大きい。
    • 現在はこの橋の隣に新西海橋もある。こちらには歩行者用の通路の足下に覗き窓が設置されていて、渦潮を真上から見ることが出来る。


    • SSK(佐世保重工業)のクレーン 英国サー・ウィリアム・アロー社製の巨大なクレーン。1913年製で今なお現役で稼働中。
    • 赤レンガ倉庫群 アメリカ海軍佐世保基地内に残る旧日本海軍が造った赤レンガ倉庫群。こちらも今現在も利用されている。

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    • 佐世保の針尾島にある。お化け煙突は愛称。本来は針尾送信所の無線塔。
    • 高さは136m。国道206号線からところどころ2本になったり3本になったりしながらこの無線塔が見ることが出来る。
    • 有名な「ニイタカヤマノボレ 一二〇八」や「トラトラトラ」(どちらも説の一つ)の暗号はここから発信された。

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    • 戦時、佐世保鎮守府海軍工廠で作られた魚雷の試験場跡地。川棚町片島。
    • 片島は名前の通り島であったが現在は埋め立てられ陸続きとなっている。
    • 大島半島を挟んだ小串浦には川棚魚雷艇訓練跡地があり、俗に言う人間魚雷「回天」等に搭乗する乗員育成も行われた。いずれにしろ内海で波が穏やかな大村湾は、実験や訓練には好条件な場所であったと思われる。
    • 魚雷発射試験場跡の建物は雰囲気のある廃墟となっていて、写真好きの撮影スポットにもなっている。また、地元の釣り人の好釣り場でもある。
    • 近年はサブカルチャーの流行りなどでコスプレイヤーや歌手のMVの撮影場所としても静かな人気となっており、時々撮影風景を見かける。

諫早

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    • 諫早公園内にある石橋。本来は目の前を流れる本明川に架けられていた。
    • 元々本明川は暴れ川であり、水害でも流されない頑丈な橋の必要性を感じた当時の人々が長崎の眼鏡橋をお手本に建造した。
    • 石橋としては日本発の重要文化財である。
    • 1957(昭和32)年の580人以上の犠牲者を出した諫早大水害の際にその頑丈さが仇となり、流木などを堰き止めたため濁流の流れが変わり被害が拡大した。その後の水害対策の際に爆破解体の声が上がり、移設案にも反対の声が上がったが、無事重文に認定・公園に移設され、現在でも諫早のシンボルとして地元の人々のよりどころとなっている。

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    • 春は菜の花、秋はコスモスが咲く丘陵にある。
    • 名前の通り年間を通じて観測会なども行われている。


    • 甘く身入りが良くいので、焼いても身の張りがあって美味しいと評判。シーズンの冬になると幾つもの牡蠣小屋が道路端に並ぶ。
    • 2012年、日本オイスター協会主催のかき日本一決定戦において、小長井町漁協のブランド牡蠣「華漣」が日本一に選出。

大村

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    • 元は大村藩の居城、大村城。正式名称を玖島城。
    • 城の遺構を利用して作られた公園で、国の天然記念物のオオムラザクラが植えられており、日本の歴史公園100選や日本さくら名所100選(こちらは県内唯一)にも選ばれる桜や菖蒲の名所としても知られている。
    • 公園の裏手の海側には、当時物資の輸送に使われた御船蔵跡があり、その沖合でNHK龍馬伝劇中にて龍馬が海臨丸に乗りこむシーンの撮影も行われた。

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    • 競艇発祥の地であり日本最西端にあるボートレース場。
    • 場内にはフードコートもあり、競艇を知らなくても楽しめる。


    • 路線のほとんどが海沿いで、のどかな景色を楽しめる。
    • 大村湾は別名「琴の湖」(ことのうみ)と呼ばれ、非常に波が穏やかである。
    • 江戸時代の歴史、思想家「頼山陽」が琵琶湖に対し琴湖と呼んだのが初めと言われる。所謂「さわり」の濁った音が大きい琵琶と、琵琶よりも繊細な琴の音を、波に例えたと思われる。(実際に面積も琵琶湖の半分で琵琶湖の方が波が高い)
    • 現在、早ければ2015年から「スイーツ列車」の運行が検討されている。

【JR大村線の旅】

島原 雲仙

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    • 島原市城内にある城。別名を森岳城。
    • 雲仙岳の麓に位置し、城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴。明治以降は廃城処分となり建物などは撤去され、現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、城跡公園となっている。
    • ちなみにこの城には他の城の様な破風(はふ)と呼ばれる飾り屋根が無い。また、所領の石高が4万石余りに対して、城の規模は10~20万石クラス相当だった。これは築城主の松倉重政が、この城を対キリシタン最前線の実戦的な城と位置付けていた為である。

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    • 雲仙山系に育まれた水が市内随所から湧出し、50ヶ所以上の湧水地が点在している。これらの湧水は地域住民によって管理・保全されており、「鯉の泳ぐまち」は訪れる人の目を楽しませている。

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    • 島原城築城と同時にできた扶取七十石以下の下層武士の屋敷跡。
    • 路の真ん中に水路が流れ、往時の武家社会の一端を偲ぶことができる。

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    • 「しらちこ」と読み、県唯一の天然の湖であり日本最小の陥没湖。元々この地には寺院と墓地があったが、日本の火山災害史上最大の死者15000人を出した島原大変肥後迷惑の時の地盤沈下と地下水の流入でできた湖。


    • 佐世保の方にあるのは「くじゅうくしま」だが、こちらは「つくもじま」
    • 白土湖と同じく、島原大変肥後迷惑の際の眉山の崩壊による土砂の流入で生まれた。正確には約80の島々が点在している。


    • 通称は「がまだすドーム」「がまだす」とは島原地方の方言で「がんばる」と言う意味。1990年11月、198年ぶりに始まった雲仙普賢岳の噴火から、1996年の噴火終息宣言。そして1991年6月3日。43名もの尊い命が犠牲となった大火砕流や土石流の発生に関する記録や展示を行っている。
    • 島原半島世界ジオパークの基幹施設として火山を「見る」「体験する」「遊ぶ」「学ぶ」「憩う」をテーマに、有料展示ゾーンと無料のメディアライブラリーゾーンとで構成されている。メディアライブラリーでは、噴火の記録映像や、観察場所などの案内、島原半島の観光や歴史の紹介など様々な情報を提供している。

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    • 元々は島原半島に代々勢力を張った有馬氏の支城。
    • 日本最大の農民一揆であり宗教戦争でもある、島原の乱の最後の舞台。

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    • 島原半島の雲仙市にある愛野駅と吾妻駅両駅の名前をつなげると「愛しのわが妻」となることから、恋人の聖地としてロマンティックスポットとなっている。
    • 愛野駅限定販売の「愛野から吾妻ゆき」の片道きっぷがついた最愛認定証も販売されている。



    • 1Fは駄菓子屋兼ノスタルジックな昔のおもちゃ屋・2Fにはおもちゃの博物館と、多分子供以上に好き者な大人の方が大喜びしそうな昭和レトロ漂う施設。


    • 最大の代表作『平和祈念像』の他に、国会議事堂内にある『板垣退助翁像』や『将軍の孫』『山県有朋像』等の作者で知られる彫刻家・北村西望の作品を展示した公園。生家は記念館となっている。
    • 同じく島原城も巽櫓(たつみやぐら)が彼の記念館となっており、またアトリエを構えていた東京の井の頭公園内、井の頭自然文化園彫刻園にも作品が展示してある。

平戸

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    • 築城開始は1599年であるが、当時の松浦家当主が息子の死に悲しみ、建造を途中で放棄し自ら放火。最終的に完成したのは100年以上後という逸話がある。
    • 元々なかったこの城に天守閣をと、高度成長期に無理矢理二の丸櫓を模擬天主としている点が少々難点ではあるが、実は遺構そのものは山鹿流という流派で建てられた唯一の城郭なので、なかなか貴重なものだったりする。
    • 余り知られていないが、同じ山鹿流を学んでいた幕末の思想家・吉田松陰も、その縁で平戸に遊学で訪れたことがある。


    • 旧平戸藩主松浦家の邸宅を、建物及び敷地が寄贈されたのを期に改装して造られた博物館。松浦家伝来の武具(鎧・日本刀)や松浦家歴代当主画像、絵画、蒔絵、茶道具ほか、什器・文書・図書類合わせておよそ12,500点にのぼる資料が収められている。
    • 入口の近くに手湯・足湯が設置されている。

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    • 建造は1931年。平戸はザビエルが訪れた地であり、それを偲んでこの名が付いた。
    • この一帯は石畳の小路に光明寺や瑞雲寺などの寺院も立ち並び、手前と奥に教会と寺院を写真に納めることが可能というエキゾチックな光景となっている。


    • 平戸のカトリック信徒の半数がここに所属する、平戸最大の教会。設計・施工は鉄川与助の手によるもの。
    • 鉄川与助とは五島の中通島出身の大工・建築家。独学で西洋建築や教会建築を学び、長崎や九州各地の教会の設計・建築を手がけた人物で日本教会建築史の第一人者。

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    • 平戸市田平町にある大正6年(1917)建造の煉瓦造りの教会。ロマネスク様式と呼ばれる建築様式に、「まるで絵画のように非常に精細」と称されるステンドグラスが特徴。
    • 平戸瀬戸を見下ろす瀬戸山と言う小高い丘の上にあるので瀬戸山天主堂とも。


    • かつて平戸にはイギリスの商館が有り、日本における貿易拠点であった。
    • 現在商館の正確な場所は不明であり、発掘作業が進められている。

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    • オランダとの正式国交を結んだ1609年から出島へ移転する1641年に至るまでの間、オランダの貿易拠点であった商館兼倉庫。現在はそれを復元した資料館となっている。


    • 鄭成功とは、中国人の父と日本人の母の間に平戸で生まれ、中国・明朝復興のために清朝と戦い、台湾建国の父とも言われる江戸時代初めの人物である。
    • その生家があった場所に、彼の足跡や功績を伝える記念館が2013年7月14日に開館した。


    • 里山という昆虫の生きるそのままの環境で観察できる施設。
    • 館内では係員の人に説明してもらいながら観察できるので分かりやすい。


    • 平戸市田平にある松浦鉄道の駅。元・日本最西端の駅(現在は沖縄にある那覇空港駅が日本最西端)。現在でも本土最西端の駅である。訪問証明書も発行してくれる。
    • 余談だが近くの東田平駅は日本最西端の「東の駅」である。

松浦


    • 鷹島周辺は中世の日本を震撼させた蒙古襲来の主戦場であった。この鷹島海底遺跡とは1281年の弘安の役の時の暴風雨(いわゆる神風)によって沈没した元軍の船に搭載されていた壷や皿、「てつはう」と呼ばれる火薬を使った武器や船の錨などの貴重な文化財が多数埋蔵されていた国指定の史跡のこと。
    • 2011(平成23)年、初めて沈没した軍船の重要構造物である竜骨や外板が発見された。鷹島歴史民俗資料館でその時の様子が公開されている。

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    • 農業用水用のダム。通常我々が想像するダムとは違い、海の中にダムを造り湾内を堰きとめた、全国でもここにしかない大変珍しいダム。

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    • 「日本の棚田百選」にも選出された松浦市福島町の棚田。夕日の撮影スポットとしても有名で、特に田植えのシーズンはプロ・アマ問わず多くの人が訪れる。松浦には他に上志佐の棚田もあり、こちらは比較的松浦市街から近いところにある。


    • 松浦鉄道(通称MR)は鉄道路線としては日本最西端にある第三セクターの鉄道会社。
    • 旧国鉄特定地方交通線である西九州線(全長93.8 km、57駅)を繋いでいる。佐世保中央駅と中佐世保駅の駅間は200メートルで日本で一番短い。



    • 1281年の弘安の役の暴風風から一夜明けた後、この辺りに流れ着いた元兵の遺体の供養に建てられた。


    • 数百匹が飛び交う県内有数のホタルの住む川。


    • 国道204号および204号バイパスの合流部に位置し、福岡方面から平戸への観光ルートの中間地点にあり、水揚げ日本一を誇る松浦のアジ・サバ等の新鮮な海産物などを取り扱っている。


  • 最終更新:2014-10-15 22:31:09

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