長崎観光ガイド:スポット:長崎市近郊

長崎

graveren.jpg

    • 長崎港を見下ろす眺望の丘にある長崎随一の観光名所。龍馬が結成した「亀山社中」とも交流があった貿易商トーマス・ブレーク・グラバーやウイリアム・オルトなど幕末に開港した日本との貿易を担った外国人商人たちが居を構えた地として、居留地時代の面影を今に伝えている。
    • 園内の石畳にはハート型の敷石(ハートストーン)が埋められており「カップルでこのハートの石に手を重ねると幸せになれる」などの噂で若い男女に人気。また出口は長崎くんちの資料などを展示した伝統芸能館を通るかたちとなっている。
    • 斜行・垂直エレベーター「グラバースカイロード」を介して入場する第2ゲートへの通路も長崎港を望む絶景ポイントとなっている。
    • ちなみにV・ファーレン長崎のスポンサー様であるリンガーハットとは、このグラバー園内にある「旧リンガー邸」のことである。

ohura.jpg

    • 日本では貴重な木造ゴシック様式の西洋建築物として国宝に指定されており、現存する教会堂としては日本最古の白亜の天主堂。
    • 「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ(私達の宗旨はあなたの宗旨と同じです)」長い禁教の時代を経て潜伏していたキリシタンが名乗りをあげた世界宗教史の奇跡として知られる信徒発見の地として有名。
    • グラバー園とともに夜間はライトアップされ、長崎の夜景の楽しみ方の一つとなっている。

holland zaka.jpg

    • 長崎には「オランダ坂」と呼ばれる石畳の坂はいくつか存在する。
    • 一番有名なのが活水女子大下の坂。
    • 当時、ここに外国人の居留地があり、そこに住む人を総称して「オランダさん」と呼んでいたのが、ことの始まり。
    • ここだけだと「日本三大ガッカリ名所」の一つに挙げられるくらい、登りきったところで特に何がある訳でもないただの坂なので、必ず周辺と一緒に廻りたい。雨上がりなら石畳がしっとり濡れて雰囲気を出すのだが。
    • 坂の途中に右手に1軒の洋館(下の東山手甲十三番館のこと)があるので、そこを少し登って左後方に洋館を入れて、というのが写真撮影の定番。

inori3kaku.jpg

    • 南山手レストハウス脇から大浦天主堂横を通る階段道。幅は狭いが大浦天主堂の側壁と教会の尖塔、その先に長崎港が広がる絶好のビュースポット。
    • 祈念坂を下りきったところは教会(大浦天主堂)、寺(妙行寺)、神社(大浦諏訪神社)が接しており、様々な文化が融合した街・長崎ならではの光景。
    • 地元では「祈りの三角ゾーン」とも呼ばれている。


    • かつて外国人居留地であった東山手・南山手エリアにはグラバー園だけではなく、他にも洋館が今も数多く現存している。
    • グラバー園を含めたこの界隈の洋館を称して、南山手洋館群。電車通りを挟んだエリアに点在する洋館を東山手洋館群と呼ぶ。

    • 南山手エリア

      • 旧香港上海銀行長崎支店 現存する長崎の洋館では最大の洋館。現在は多目的ホールや当時の居留地と長崎港に関する記念館となっている。
      • 旧長崎税関下り松派出所 旧香港上海銀行長崎支店記念館の側にある。数多くの貴重な作品を展示したべっ甲工芸館として利用されている。

    • 東山手エリア

      • 東山手十二番館 オランダ坂界隈で最も重要な白く美しい洋館。
      • 東山手甲十三番館 活水大学下の青い洋館。喫茶コーナーが有り、休憩を取ることができる。
      • 東山手洋風住宅群 まとまって保存されており、全国的に珍しく貴重な洋館群。世界各国の料理を提供するレストランや、古写真資料館としても利用されている。
      • 旧長崎英国領事館 本館のみでなく敷地全体が保存されたレンガ造りの貴重な洋館。

kousi.jpg

    • 古代中国の思想家、孔子を祠った廟(びょう)である。
    • 明治時代に中国人が初めて海外に建てた孔子廟であり、日本最大のものでもある。
    • 山東省にある総本山の流れを汲んだ本格的な様式のものであり、内部には孔子や儒教に関する様々な展示物がある。

sinti.jpg

    • 日本三大中華街の一つ。
    • 南北250mの十字路をメインストリートとして構成される。
    • 17世紀の鎖国時代真っ只中に当時海だった場所を埋め立ててできた(「新地」と言う名前はそこから)華僑の倉庫街が基となった街の為、横浜や神戸のそれに比して非常にコンパクトなつくりをしている。


    • 中華街のすぐ裏手にある館内町にある。「館内」の名もそこから。
    • 鎖国時代、長崎に居住していた華僑の居住区はこの地区に限定されていた。いわば「華僑版出島」である。(但し出島のオランダ人のようにガッチガチに留め置かれていた訳ではなく、住む場所が決められていただけで、日中は比較的自由に長崎の町を往来できた)
    • 後に火事になったことを受けて居住地の制限もなくなり、貿易を生業としていた華僑達も徐々に倉庫街の新地の方に直接住むようになったため、そちらの方が栄え、こちらは廃墟となった。


    • 日本で初めて近代砲術を取り入れた高島秋帆の邸宅跡。邸宅そのものは現存してないが、門塀、石垣、石段、弾薬を保管した倉庫、訓練に使用した砲痕石などが残る。
    • 東京のマンモス団地で有名な高島平の地名は、彼がそこで演習を行なったことから。彼の門下から「お台場」の建造者、江川太郎左衛門英龍らが輩出されていった。

dejima.jpg

    • 「日本中が窓を閉じていた時代があった 耳と目をふさいでいた時代があった そんな時代にも長崎出島だけは 小さな灯を灯し続けていた」「出島に寄せる波に乗って 西欧がやって来た 日本が海を渡って行った」
    • 鎖国時代の約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口だった人工島。
    • 現在は港湾改良工事によってその周辺を埋め立てられ、島ではなくなったが、かつて海に面していた水門、西側ゲートや東側ゲートから入場すると、時代の遺構や建物などが見学できる。
    • すぐ傍らに有る「出島橋」は一見何の変哲も無い小さな鉄橋だが、現在も稼動中の鉄橋としては日本最古のもの。


    • レストランや居酒屋、カフェ・バーなどが立ち並ぶ長崎港のウォーターフロント。
    • 長崎水辺の森公園長崎県美術館にも程近い散策エリアとなっている。

koufukuji.jpg

    • 唐寺とは江戸時代に長崎の華僑が建立した興福寺・崇福寺・福済寺の黄檗宗の3つの寺院のこと。ここに聖福寺を加えて長崎四福寺とも。

    • 興福寺 通称・赤寺。日本最古の黄檗宗の寺院でもある。日本にインゲン豆を持ち込んで広めた中国の僧侶・隠元(いんげん)禅師が日本へ来た際に滞在していた寺でもある。ちなみに隠元禅師が日本に伝えたのはインゲン豆以外にスイカや茄子などの食物や、漢字や仮名の表示や印刷において標準的な書体である”明朝体”などがある。

    • 崇福寺 長崎の3つの国宝のうち2つ、大雄宝殿(だいゆうほうでん・本堂のこと)と第一峰門を有する。中国では古来より蝙蝠(こうもり)の『蝠』は『福』に通ずるということで縁起物であり、第一峰門には蝙蝠のレリーフが施されている。その為、同じ理由で蝙蝠をロゴとする福砂屋のCMにもこの門は登場する。

    • 福済寺 国宝の建造物は残念ながら原爆で焼失してしまい、建立当時の建築物は無い。内部に地球の自転を示す日本最大級の「フーコーの振り子」がある亀の上に立った巨大な観音像、長崎観音がある。

【参照:予告編】

meganebashi.jpg

    • 「日本晴れ 二つ浮かべて 眼鏡橋」
    • 長崎市の中島川に架かる橋で、日本初の石造りアーチ橋。名前の由来は川面に映った影が双円を描き眼鏡に見えるため。
    • 皇居・二重橋はこの眼鏡橋をモデルに作られている。
    • 眼鏡橋付近の護岸石垣にはハートの形をした石(ハートストーン)が約20個埋められており、グラバー園のハートストーン同様、女性を中心とした観光客に人気となっている。また、中島川沿いには柳や紫陽花が植えられており、6月のシーズンには道行く人々の目を楽しませてくれる。

amikasabashi.jpg

    • 眼鏡橋以外にも中島川沿いには数多くのアーチ型石橋が存在する。
    • この川に石橋が盛んに架けられた理由は主に、1.江戸時代を通じて、さまざまな外国人が居留しており、その中にアーチ橋の建築技術を持ったものもいた。2.当時主流の木製の橋は洪水のたびに流出していた。3.川の東側の斜面一帯が現在も寺町と呼ばれる寺院が立ち並ぶ門前町で、その参道が必要だった。等である。元々は眼鏡橋も興福寺の参道の一部であった。
    • 時が下り一部は近代化の影響で鉄橋やコンクリ製の新しいものになり、さらに1982(昭和57)年の長崎大水害で当時の14橋の内、3橋が半壊、6橋が全壊。眼鏡橋など修復で済んだ数橋を除いた内の多くがまた新たに架けなおされたものの、阿弥陀橋~常盤橋間の約800mの区間に13橋がなおも情緒ある風情を漂わせている。

kameyama.jpg

    • 坂本龍馬とその同志により設立された結社で、日本初の商社。
    • 龍馬のブーツなどのレプリカや書状の写し、亀山社中の志士達の写真等が展示されている。
    • 記念館付近には駐車場が無いため、新大工町などに停めて徒歩で龍馬通りを上っていくことになるが、龍馬通りは延々と上り坂が続くため、体力に自信が無い場合はバスやタクシーで風頭まで上り、風頭公園(龍馬像)→亀山社中記念館/若宮神社のルートで下ったほうが全然ラク。
    • なお、V・ファーレン長崎のホーム戦で選手入場の際に流れるBGMは、福山雅治主演の大河ドラマ『龍馬伝』(2010年)のOPテーマである。
【参照:龍馬伝OP】


    • 坂本龍馬をはじめ、亀山社中、海援隊士、幕末の志士、幕末・明治期の長崎の風景などの古写真、龍馬の手紙の写しなどの貴重な資料を展示している。亀山社中記念館そば。

wakamiyainari.jpg

    • 1673年、出来大工町の乙名若杉喜三太が自宅に祭っていた楠木正成公の守護神、若宮稲荷五社大明神を伊良林に移して社殿を創建した神社。
    • 当稲荷が南北朝の武将・楠木正成の守護神であったことや亀山社中の近くだったこともあり、坂本龍馬をはじめ幕末の志士が多く参詣したため「勤皇稲荷」とも呼ばれている。
    • 境内には風頭公園の坂本龍馬像の原像があり、長崎市の彫刻家・山崎和國氏が約2か月かけて制作したものである。


    • 中島川の上流、伊良林にある浄土真宗の寺院。ここには女の幽霊が毎晩飴を買いに来て、子供を育てた有名な民話「産女の幽霊」が伝わっている。
    • この寺には「幽霊像」や掛け軸が伝わっており、毎年8月16日に虫干しも兼ねて御開帳される際、併せて由来を説明する紙芝居が語られ、幽霊飴も配られるので、夏休み中の地元の子供たちの夏の楽しみとなっており、観光客も見物に訪れる。

narutaki.jpg

    • オランダ商館医として来日し診療所兼蘭学塾「鳴滝塾」を開いて日本の近代化に貢献したシーボルトの生涯や功績を紹介している記念館。隣はシーボルト宅跡(史跡)である。
    • 地元でも意外と知られてないことだが、実を言うとシーボルトはドイツ人である。もちろん当時のドイツ人が入国が認められてる訳もないので、身分を偽ってやってきた。ミもフタもない言い方をすれば「密入国」。
    • なので入国の際にこういうエピソードがある。
    • 日本側の通司(通訳)は親から子へと代々引き継がれる役目である。オランダの文物が読めると何かとマズいという理由で読み書きはNGであり、代わりに文字ではなく耳のみで覚えて学ぶ為、彼の発音が微妙におかしいことにすぐ気がついた。その時にシーボルトが言った言い訳が「 自 分 は 高 地 オ ラ ン ダ 人 だ か ら 」
    • ちなみにオランダは「世界は神が作り給いしが、オランダはオランダ人が作った。」と謳われる様に低地を干拓してできた国。つまり高地とか山岳というものが存在しない。というか、すでに「高地〇〇人」という概念と呼称自体がドイツ人の言い回し。当然オランダ人からすると吹き出すような話ではあるが、鎖国真っ最中の日本では知る由もなく、無事入国できたらしい。
    • なお、オランダ語とドイツ語の違いは日本語の標準語と関西弁のそれより言語学上の違いは遥かに少ないので、それはそれであながち間違いではないことも併せて記しておく。

hikoma.jpg

    • 日本初のプロカメラマン上野彦馬が自宅に併設した、日本初の写真館。新大工町電停前の立体駐車場裏。
    • この撮影局で多くの幕末の志士を撮影しているが、最も有名なのは肘掛台に片肘をついた坂本龍馬の写真。
    • 一般的に多くの幕末の志士の写真は上野彦馬自身が撮影したと思われているが、当時の写真撮影料は高額であったため、実際には彦馬の弟子たちが無料で撮影する「試し撮り」による写真が多く、有名な坂本龍馬の写真も彦馬の弟子の井上俊三が撮影した”失敗作”だと言われている。
    • 石碑の前には肘掛台のレプリカと対面した写真機レプリカがあり龍馬と同じ構図で記念撮影ができる。

suwajinja.jpg

    • 長崎の総氏神様で、諏訪・森崎・住吉の三社がお祀りされ、厄除け・縁結び・海上守護の神社として崇敬されている。
    • 長崎の秋の大祭「長崎くんち」の奉納踊りは諏訪神社で行われる。
    • 参道の敷石には男石(陽石)と女石(陰石)が幾何学的な紋様で埋め込まれており、男性は四の鳥居付近の女石(陰石)を、女性は一の鳥居付近の男石(陽石)を踏んだ後、拝殿前にある両性合体石を踏んで参拝すると縁結びの願い事が叶うと言われている。
    • 狛犬も”立ち狛犬”や”逆立ち狛犬”、”カッパ狛犬”などユニークな狛犬が多い。


    • 「六角堂」とも。諏訪神社の御神木である7本の大きなクスノキ。
    • 「長崎公園」の看板を目印に諏訪神社の裏手、県立図書館と日銀長崎支店の間の坂を上っていくと、曲がりくねった道のど真ん中に生えている。
    • 某珍百景でも採り上げられたことのある長崎の珍名所。
    • 最も狭い箇所は1.7m、…さて3ナンバー車の全幅は1.7m~である。どういうことか?つまり車種によっては一部反対車線を走る必要がある、ということである。
【参照:諏訪の杜 巨木ロード 上り篇】
【参照:諏訪の杜 巨木ロード 下り篇】


    • 2005(平成17)年にオープンした、中世~近代長崎の海外交流に関する内容を中心に様々な企画展示を行っている博物館。設計者は建築家の黒川紀章(ドメサカ的には大銀ドームや豊田スタジアムを手がけた人)。
    • かつて長崎奉行所があった場所に立地し、建設の際に発掘された様々な出土品が展示されている。また敷地内にその一部が復元され、毎週末には当時の裁判の様子を再現した寸劇を御白洲にて上演している(地元の者には「長崎よかテレ」のアレであると言った方が早いか)。
    • 工房では様々な長崎の伝統工芸の製作体験などができるので、お子さんの夏休みの自由研究のネタに悩む親御さんにも。


    • 完成は1897(明治30)年。
    • 外壁と尖塔以外は原爆の爆風による延焼を受けたが、戦後その外壁と尖塔はそのままに再建された、数少ない当時の貴重な被爆遺構でもある。
    • この教会の近くには唐寺の一つ、聖福寺があり、大晦日から元旦に日付が変わる際、中町教会の鐘が鳴るのに合わせるかのごとく、同時に聖福寺からも「鉄心の大鐘」が鳴り響く。その時の雰囲気は圧巻・荘厳である。

nishizaka.jpg

    • 西坂とは現在の長崎駅のすぐ側、NHK長崎支局裏の丘。ここで日本で初めて26人のキリシタン(二十六聖人)の処刑が行われた。現在は記念館が併設された公園となっている。


    • 稲佐山の麓にある神社。稲佐山へ登るロープウェイの駅と隣接している。
    • 三菱の創始者・岩崎弥太郎が三菱の安全祈願を毎年ここで行い、その伝統は今でも三菱グループの企業に引き継がれているという。
    • 淵神社に付属している宝珠幼稚園に福山雅治が通っていたこともあり、女性ファンが多く訪れており、淵神社が授与しているお守りは”福守り”として人気がある。
    • 岩崎弥太郎が安全祈願した神社の幼稚園に通った福山雅治が大河ドラマで坂本龍馬を演じるなんて、偶然とはいえ良く出来た話である。


    • 長崎西洋館館内にある長崎電気軌道の資料館。
    • 入り口に設置されている電停と同じ看板が目印で、長崎のチンチン電車に関するさまざまな展示がされている。

heiwa.jpg

    • 1945年8月9日に投下された原子爆弾落下中心地(爆心地)と、その北側の丘の上に、平和を祈って設けられた。入園は自由。
    • 平和への願いを象徴する高さ9.7メートル/重さ30トンの平和祈念像が有名。
    • 製作者は南有馬(現・南島原市)出身の彫刻家・北村西望。

genbaku.jpg
    • 長崎市への原子爆弾投下に関する写真や資料を取り扱った資料館。
    • 原爆・平和関係の図書閲覧ができるほか、ビデオコーナーを設置した図書室も併設されている。

urakami.jpg

    • 1925年に完成し、東洋一の壮大さを誇ったカトリック教会だったが、原爆投下の際に全壊。長崎市の原爆資料保存委員会は廃虚の保存を求めたが、司祭らの再建委員会は撤去を決定。1959年現在の地に移築された。
    • 別名・アンジェラスの鐘と呼ばれる鐘楼の一部が現存し、これが現地に残る唯一の遺構である。また崩れた側壁や石像の一部は現在、長崎原爆資料館に展示されている。


    • 「にょこどう」と読む。長崎市の姉妹都市であるブラジル・サントス市にちなんで名付けられたサントス通りにある。
    • 長崎大学医学部付属病院勤務の医師・科学者であり、放射線の研究と原爆の二重被曝による白血病で寝たきりとなりつつも『長崎の鐘』や『この子を残して』等を記した著者として知られる永井隆博士。その彼が晩年を過ごしたわずか二畳一間の家。
    • 博士が遺した遺品等が展示されている長崎市永井隆記念館も隣接している。

kataashi.jpg

    • 長崎市坂本の山王神社にある一本足で立つ鳥居。
    • 長崎へ投下された原爆の爆風により、片方の柱が吹き飛んだ状態で立っており、現存する原爆の被爆建造物となっている。
    • 山王神社の境内には、原爆投下の熱風によって黒焦げになり枯れ木同然となりながらも、奇跡的に再び新芽を芽吹き、豊かな緑を取り戻した”被爆クスノキ”があり、その生命力にあやかろうと毎日多くの参拝者の方が訪れている。

sakamoto-gaijin.jpg

    • 昔から外国人と広く深い縁を持つ長崎には、坂本・稲佐・大浦の3地区7箇所にオランダ・イギリス・ポルトガル・中国・アメリカ等20ヶ国にまたがる人々が眠る墓地がある。
    • 坂本 最も有名なのがここ。グラバー邸の主、トーマス・グラバーとその家族や兄弟、同じく明治日本の実業界で活躍した兄ウィルソン、弟ロバートのウォーカー兄弟。如己堂で紹介した永井隆博士もここに眠る。
    • 稲佐 最も古い外人墓地。人種も国籍も宗教も全く関係なく、現在も悟真寺という浄土宗の寺院により守られているという、世界史的に見ても非常に稀な外人墓地である。
    • 大浦 居留地が大浦に開かれた後、イギリス領事から幕府に要請してできた墓地。その後各国にも許可が下り、埋葬者の増加に伴い手狭になり、また付近住民の衛生面の問題から閉鎖された。


    • まずはじめにここは観光地ではなく、ただの住宅街であることを断っておく。
    • 地図上で見る限りではきれいな升目状に区画されているが、高度成長期に開発された長崎で最も古い新興住宅地なので、実際に足を踏み入れて見ると切り崩して整地せずに斜面がそのまま街路を成し、また道幅も非常に狭いので、典型的な長崎の住宅がどういうものか手っ取り早く実感できる。タクシーを利用して「適当に廻ってください」と言ってみよう。
    • 映画『いつか読書する日』の舞台であり、オープニングで主演の田中裕子が自転車で一気に下り降りる長い坂もここにある。
【参照:予告編 1分1秒~2秒辺り】
    • このエリアの一角の小高い丘の上に「十字架山」という、浦上地域キリシタンの信仰の聖地がある。


    • ソロバンドックとは見た目からの通称。正式名称は小菅修船場という。
    • グラバー園でおなじみトーマス・グラバーが建てた日本発の西洋式船舶修理所(ドック)。この施設と対岸の神の島にある官営長崎製鉄所が、後にグラバーから日本政府を経て三菱長崎造船所と発展していった、いわば日本近代造船所発祥の地である。
    • 「こんにゃくレンガ」と呼ばれる最初期の国産レンガで建てられた小屋(日本最古のレンガ建築物でもある)には海から船を引き上げるために使われた蒸気機関が残る。
    • 現在も三菱の所有となっているので要事前連絡だが、見学料は無料。

megami.jpg

    • 長さは斜張橋と言うタイプでは九州最長、国内で6番目、世界で17番目の1289m、完成は2005(平成17)年の長崎港の入口に架かる有料橋。
    • 地名の「女神」とその白い姿から『ヴィーナスウィング』の愛称を持つ。夜間のライトアップには工夫が凝らされ、長崎の夜景に一役買っている。
    • 2013年7月、県内8件目の「日本夜景遺産」に選出された。


    • 小説家・遠藤周作の代表作『沈黙』や、『女の一生 一部・キクの場合』に登場し、なかにし礼原作の映画『長崎 ぶらぶら節』やさだまさし原作の映画『精霊流し』のロケ地としても知られている教会。教会の前からの眺めは遠藤周作からもこよなく愛された。
    • この教会の周囲には、少し離れた長崎市の深堀地区に武家屋敷跡等もある。


    • 1890(明治23)年建立。馬込教会とも。現在の天主堂は1931年(昭和6)に建て替えられたゴシック様式の天主堂。車での訪問はできないので、近隣の伊王島ターミナルの駐車場に停め、徒歩かレンタサイクルを利用しよう。


    • 伊王島灯台は日本で初めての鉄造洋式灯台であり、1866(慶応2)年に全国8ヶ所に設置された内の一つ。現在の建物は2003(平成15)年に建て替えられた3代目。
    • 現在は伊王島灯台記念館になっており、日本唯一の灯台記念館でもある。こちらも車での観光はNGとなっているので注意。

gunkanjima.jpg

    • 正式名称は端島(はしま)。かつて高層建築物が立ち並び、日本最大の人口密度を誇った長崎市の沖合いに浮かぶ小さな島である。
    • 炭鉱が閉山した後は長らく上陸はおろか周辺海域も一般の立ち入りは禁止、島内の遺構は朽ちるに任せるままの状態であったが、近年アーティストのPVや映画の舞台などに採り上げられ注目されるに従い、徐々に保存活動と併せて規制が解禁される様になりつつあり、現在はクルーズや一部の場所への上陸を認められる様になっている。


    • 長崎半島の最南端。元々は長崎へ入ってくる外国船を監視する遠見番所や烽火台が置かれていた。
    • 軍艦島や伊王島大橋を眼下に収め、条件に恵まれれば遠く鹿児島県の甑島まで見渡せる。
    • 目の前の樺島とは樺島大橋で接続されている。


    • 国の天然記念物に指定されている大ウナギ。
    • 井戸の中に住んでおり、「うな太郎」と言う名前がついている。
    • なかなか顔を出してくれないので、傍の水槽には「うな子」と言う名の代理(笑)がいる。
    • この先には樺島灯台公園がある。途中道が狭い割に、日中は付近を営業中のサラリーマンの休憩場所にもなっていたりする為、意外と往来はあるので注意しよう。

saba.jpg

    • 長崎市の隣町、西彼時津町の国道206号線沿い継石バス停上の崖にそびえるこけし型の岩。
    • 国道、特に車からだと少々見えにくいので注意。
    • この名前は「昔々ここを通りがかった魚売りがこの岩を見上げて、『おとろしかぁ~、落っちゃけてから行こうたい』と、落ちてくるのをひねもす待っておったが、結局岩は落ちてこず、売りもんの魚もとうとう腐ってしもうたげな。」と言う昔話から。

  • 遠藤周作文学館
    • 昭和を代表する小説家の一人であり、軽妙なエッセイストとしても知られる遠藤周作。彼は熱心なカトリック信者でもあり、隠れキリシタンと禁教時代の長崎外海の地を舞台に『沈黙』と言う作品を執筆している。
    • そういう縁もあり、彼の遺したさまざまな資料がこの地に展示されている。
    • またここは夕陽のスポットとしても有名である。【参照:ドライブコース】


img_ngskneko.jpg

    • 長崎は坂が多く道幅が狭いため自動車の往来が少く、自動車に轢かれるリスクが少ないため、必然的にねこが幅を利かせている。
    • 観光地や商店街、墓地などありとあらゆるところで猫が見られ、愛想が良い猫が多い。
    • また、長崎の猫はしっぽの先端が曲がっていたり尾が短く団子状やかぎ状になっているため「長崎ねこ」と言われる。

  • 長崎市内の急坂

    • フジテレビ系「ほこ×たて」にて電動自転車と対決した急勾配の坂
    • 第1位:変電所の坂
      • 飽の浦の三菱重工長崎造船所の近くにある、距離170m、標高差42m、平均勾配26%、最大勾配は30%と長崎市内の車が通行できる坂では最も急な坂。坂の上は飽の浦変電所となっており、稲佐山の展望台からも確認することができる。実家に近いため、福山雅治がラジオのネタにしていることもしばしば。

    • 第2位:地獄坂
      • 距離120m、標高差36m、平均勾配24% 清水市場を抜けた先、相生(あいおい)町にあるので「相生地獄坂」。こちらとは別に、星取町から田上のあたご自動車学校に抜けるも「地獄坂」と呼ばれる。

    • 第3位:南山手の坂
      • 距離70m、標高差13m、平均勾配22% グラバー園のすぐ真下、ホテルマジェスティックの横にある。道幅は狭く、車で登る際は下からの一通になっているので注意。



  • 最終更新:2014-10-15 22:28:07

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード